カレン・ホーナイについて

カレン・ホーナイ

カレン・ホーナイ(Karen Horney, 1885年9月16日-1952年12月4日)は医師、精神分析家。新フロイト派とされる。精神分析の男性中心的な部分(女児の男根願望など)を批判した。フェミニズムにも影響を与えた。ドイツのハンブルグのブランケネーゼ生れ。著作にホーナイ全集全7巻(我妻洋, 安田一郎 編、誠信書房)など。(Wikipediaより)

生涯

ホーナイは1885年ドイツのハンブルグに生まれた。父はノルウェー出身で、後にドイツ国籍を取得し、ハンザ汽船の船長であった。父が宗教的で厳格な人であったのに対して、彼女の母は、オランダ系であり、知的な自由な考え方の人で、ホーナイに大きな影響を与え、彼女が女医の道を選ぶのに激励を惜しまなかった。

ベルリン大学を1911年に卒業したが、在学中1909年にハインリッヒ・ホーナイと結婚し、1911年に長女を得ている。

卒業後ベルリン・ランクウイッツ、サナトリウムその他に勤務し、1915年学位を得た。その間ベルリン精神分析協会の一員となり、カール・アプラハムに分析を受け、第一次大戦後自身分析治療に従った。

1920年、ベルリン分析研究所の設立と同時に彼女はその一員となり、分析医の訓練に当り、同年ハンス・ザックスに分析を受けている。また、ハラルド・シュルツヘンケの思想的影響を受けることが多かったようである。

この間の彼女の業績は女性の心理に関する諸論文であるが、それに対するフロイトの評価は好意的でなかった。

1932年、彼女はシカゴ精神分析研究所の副所長に就任し、そこで約1年間分析医の教育訓練等を行ったが、翌年にはニューヨークに移り、ニューヨーク精神分析研究所で訓練医として活動するとともに「亡命大学」と言われた新社会研究学校で講義をすることになる。

この講義をもととしてできたのが1937年に出版された『現代の神経症的人格』である。この書は、フロイト派の考え方と異なる彼女独自の臨床経験に基づく新しい精神分析の考え方を示したものである。

1939年『精神分析の新しい道』が出版され、この中で彼女は、フロイトの創見に負うところと、意見を異にするところとを明確にし、彼女の信ずる精神分析の新しい道に決定的に進むのである。

これより先、1933年頃から、サリヴァン、トンプソン、フロムなどと毎週会合し相互に意見を交換していた。会はゾーディアック・クラブと呼ばれ、後に新フロイト派と呼ばれたグループの母胎である。

1941年彼女はトンプソン等と共にニューヨーク精神分析研究所から追放され、精神分析振興協会とアメリカ精神分析研究所を設立する。また、American Journal of Psychoanalysisという雑誌を創設する。

1942年『自己分析』が出版され、彼女は、自己分析の限界を認めながら、その可能性を主張する。随時的自己分析の有用性から出発して、深い自己理解に達するために系統的自己分析を推奨する。

1945年『内的葛藤」が出版される。『現代の神経症的人格』では、権力への追求と病的愛情欲求とを主として取り扱ったのに対して、ここではさらに孤立、分離への傾向を取り上げている。すなわち、人間関係における神経症的な「反抗する」「従っていく」「離れていく」3つの態度が互いに矛盾し合い、葛藤し合うことを考察し、これらの葛藤の神経症的解決として、理想化された自己像を明らかにする。

1950年、彼女の思想の発展であり集大成でもある『神経症と人間の成長』が刊行される。ここでは、前著における3つの態度が、「自己拡大的」「自己否定的」「自己限定的」な態度として明確化され、理想化された自己がその神経症的態度の核としてとらえられる。「理想化された自己」のもたらす絶対的要請―他に対する「要求」、自らに対する「かくあるべし」の強制、さらに傷つき易い「神経症的誇り」が描かれる。

最も重要なのは、すべての神経症的試みにもかかわらず人間の中に存する「真の自己」の存在に対する主張である。彼女はこれこそ、人間の成長の源泉であり、人間の意味は、「真の自己」の実現にあると言い、この基本的な考え方を彼女は建設的なものと呼ぶ。

彼女は鈴木大拙との交りによって禅に対する理解を深め、1952年訪日の旅に出たのは、「真の自己」についての自分の考えを禅における「本来の自己」によって深めようとする意図に基づいている。事実滞日中、禅の実践者である多くの老師と対談し、感銘を得、新しい著作に対する熱意を持つに至る。帰米後、滞在中に興味を持った森田療法についての発表討論を、自ら議長として運営し、その夜病を発して入院、胆道を原発とするガンのため死去した。67歳。

彼女の到達した真の自己をもととした人間の成長という考えは、同時に彼女自身の生涯の経過を物語る。彼女の著作の一つひとつは彼女の成長の里程標である。男性中心の社会にあって、彼女は男女の性別を超えて、人間としての成長の重要性を主張し、彼女自身常に絶え間ない成長の生涯を生きぬいたのである。(近藤章久:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)

>トップページにもどる